歴史に興味を持ってから、じいちゃんばあちゃんと話すのは楽しいです。戦争を経験した世代は平成生まれの私の祖父祖母が最後の生き証人です。なのでみんな、じいちゃんばあちゃんが生きているうちに話を聴きまくるべし。
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生活保護受給者が叩かれることが多くありますね。だいぶ前にとある新聞に母子家庭・生活保護受給者の終始内訳の開示がありました。そして「生活が苦しい」ということを吐露するとSNSで総バッシングされたという・・・
住む地域や生活水準でどう受け取られるかは変わるでしょうが、少なくともその人の今までの背景については知った上で判断しないといけないかなと思います。
「知ったことか!勉強なり頑張ってきてないからツケが回ってんだろ!」と思う人もいますが、ここからお話することはどんなに頑張っても人としての権利が認められなかった人たちの話です。
松山にも治安悪いよねー・・・という場所はいくつかあります。なんか危ない人いるよね〜という所。で、生活保護者も多い地区というのがあります。全体の何割かはわかりませんが、祖母から聞いた話では「部落差別を受けてきた人も含まれてる」ということでした。
集落によってカースト制がありました。ヒンドゥー教みたいにね。遡ると古墳時代の氏姓制度からです。
昔は天皇が国のトップで、その次に豪族(地方の金持ちというか地主というか)と続き、その下には県主とか続くのですけど、一番下が非人、その上が穢多(えた)です。→参考サイト
時代は進んでいくのですけど、このカースト制がなくなるタイミングでなぜか非人ではなく穢多が残ることになりました。
この話を祖母から聞くと、穢多の生業は生き物の殺生がメインであった為、穢(けが)れた仕事をしていた。なので人ではない奴隷の非人よりも罪深い。罪人だ。
ということで残ったのが部落差別です。
穢多の身分の人たちが集まり、集落をなして小さなコミュニティーのなかで過ごしていたのかもしれません。部落差別のこの詳しい内容は習っていませんが、小学校の頃には道徳の時間に少し習いました。まさかこの氏姓制度がここまで根深く残るとは思いませんでした。
ヒンドゥー教のカースト制では上層部と下層部の人同士は結婚できないのです。そしてこれは部落差別にもあります。
祖母は島出身ですが、昔近所に住んでいた優しく聡明であるお兄さんが松山市の女性と結婚を誓いました。が、「部落の出身であるから断れ」と、女性側の両親の反対からこの2人が結ばれることはありませんでた。
この男の人はとても努力家で優秀な大学にも入り、安定した収入の職にも就いていたのですが、このことがきっかけで心が病んでしまい自殺してしまいました…。
また、部落出身の人は結婚だけでなく就職にも影響していたので死活問題であったのです。1000年以上も前のことが昭和の時代にも色濃く残り、そして現代で生活保護者としてあるのならば差別とはなんの為にあるのか。
とても疑問に思います。
祖母から聞いた話は以上です。今回の話で言いたいことは、差別と区別は違うということ、物事は片側だけで判断してはいけない。ということです。
新聞やテレビで流れるニュースの裏を考えることが必要です。一方の意見に流されると集団で泥沼に突っ込むことになりかねません。
歴史を学ぶことは実体験なしにでも道徳・不道徳を学べる。それに気づいて私は社会の教員免許を取りたいなと思いました。伝え方一つでより覚えてもらえるし、一つの問題について自身の考えを伝えるきっかけを社会を通して作れるのではないかなと考えています。
ちょっと暗い話になりましたが今日はここまで。